なぜムダな読書論争は無くならないか?【「読書」の2つの意味について】

分かりやすく簡単に解説シリーズ

こんにちは、ニンジャです!
今回は、「読書」という言葉の意味は2つある、というテーマについてです。

「読書」という言葉は、日常的によく使われる単語で、難しい言葉ではないと思われています。

あなたは「読書」と聞いて、どんな本をどのように読むことを思い浮かべますか?

僕が「読書」という言葉の難しさを感じたのは、Twitterで見かけた次のようなやりとりがきっかけでした。

「読書」には意味が2つある

僕が見かけたTwitterでのやりとりは、以下のような感じでした。

ツイート:
「効率よく情報を得るために読書はとてもコスパがいいし、絶対にしたほうがいい!」

そして、このツイートへの反応に以下のようなものがありました。

「読書に効率とか求めている時点で間違っている」
「読書は楽しいからやるもので、やるべきとかじゃない」
「コスパを読書に求めるなんて頭がおかしい」
「読書って娯楽でしょ?」
「情報を手に入れるものじゃなくて、心の支えになったり、物語に没頭したりするものだ!」

これらの反応は、「効率よく情報を得るために読書はとてもコスパがいいし、絶対にしたほうがいい!」というツイートに対して、正しく反応ができているでしょうか?

ここでの「正しい」とは、「”論理的に”正しい」という意味です。

僕はこの反応をみて、「論理的に正しくない反応ばかり。コミュニケーションが成り立っていない。。」と感じました。

なぜなら、最初のツイートが言っている「読書」と、このツイートに反応した人たちが言っている「読書」は全く異なる、似て非なるものだからです。

同じ「読書」という言葉を使っているのに、「全く異なる、似て非なるもの」というのはどういうことでしょうか?

それは、「読書」という言葉には意味が2つあるということです。

あえて言葉をつけてわけるなら、読書には「勉強のための読書」と「趣味としての読書」の2つがあります。

この2つを明確に区別する言葉が無いので、どちらの読書を指す場合も「読書」という言葉が使われます。

なので、さきほど例に出したような、「読書」にまつわるすれ違いが起きてしまうのです。

では、「勉強のための読書」と「趣味としての読書」にはどのような違いがあるのでしょうか?

「勉強のための読書」とは?

勉強のための読書」とは、文字通り、何か学習することを目的とした読書のことを指しています。

例えば、資格を取るために参考書を読んだり、仕事のためにマーケティングの本を読んだり、目覚めを良くするために睡眠についての本を読んだり…。

このように、「○○について知りたい!」「○○が出来るようになりたい!」というような明確な目的があって本を読む行為が「勉強のための読書」です。

何かを学ぶための読書なので、ビジネス書や新書、学術書など、小説以外のノンフィクションの本を読む場合が多いです。

ただ明確な目的があれば「勉強のための読書」なので、「太宰治が書く文体の特徴を知りたい」という目的があって『人間失格』を読んだとすれば、それは「勉強のための読書」といえます。

また「勉強のための読書」は、達成すべき目的が明確にあるため、「効率」「生産性」「コスパ」などが重要となります。

「エクセルの関数を使いこなしたい」という目的があるなら、その目的を一番早く、簡単に、安く達成できる手段が最もいいというのは言うまでもありません。

つまり、「勉強のための読書」は①明確な目的があり②主にビジネス書や学術書などを読み③いかに目的を達成するためのコストを下げるかが重要、ということになります。

でも、「趣味としての読書」はぜんぜん異なります。

「勉強のための読書」の特徴である上記の3つの点を頭の隅に置いて、「趣味としての読書」についても見てみましょう!

「趣味としての読書」とは?

趣味としての読書」とは、純粋に楽しいからする読書です。
「勉強のための読書」とは違って、目的はありません。

多くの場合、「趣味としての読書」は小説やエッセイを読むことを指しています。

ワクワクするようなSF小説を読む、詩的で文章が美しい文学作品を読むなど、小説を読む行為に何かを学ぼうという目的はなく、純粋に楽しいから趣味としてする読書です。

ここでのポイントは、「明確に学ぼうとする狙いはない」ということです。

趣味として小説を読んでいたら、すごく学ぶことが多かったというケースはあるかもしれませんが、読む前からそのことを学ぼうと意識していたわけでは無いなら、それは「趣味としての読書」といえます。

結果的に学べたかどうかではなく、明確に学ぶ意思を持ちある目的を達成するために読んでいたかどうかが2つの「読書」を区別するポイントとなります。

また、「趣味としての読書」は純粋に本を楽しむ行為なので、「心が動かされたか」「満たされた気持ちになったか」「衝撃を受けたか」など、感情がどう揺さぶられたかが重要になります。

なので、「勉強のための読書」のように、「効率」や「生産性」ということはまったく求められませんし、そもそもそんな概念は存在しません。

「趣味としての読書」は、純粋な楽しみであり、芸術鑑賞なのです。

2つの「読書」を混同しないためには?

ここで、冒頭に例に挙げたTwitterでのやりとりをもう一度見てみましょう!

ツイート:
「効率よく情報を得るために読書はとてもコスパがいいし、絶対にしたほうがいい!」

そして、このツイートへの反応に以下のようなものがありました。

「読書に効率とか求めている時点で間違っている」
「読書は楽しいからやるもので、やるべきとかじゃない」
「コスパを読書に求めるなんて頭がおかしい」
「読書って娯楽でしょ?」
「情報を手に入れるものじゃなくて、心の支えになったり、物語に没頭したりするものだ!」

さて、これらの反応は”論理的に”正しいでしょうか?

ここまで読んでくださった方には、このすれ違いを感じ取っていただけると思います。

最初のツイートは、「勉強のための読書」のことを指しています。
「情報を得るために」という部分が、まさに「勉強のための読書」の特徴です。

反対にこのツイートへの反応は、「趣味としての読書」のことを言っています。

「読書は楽しいからやる」「読書は娯楽」「物語に没頭」という言葉や、効率やコスパを否定していることからも、「趣味としての読書」のことを言っていることがわかります。

この一連のツイートはあくまで例ですが、これと似たようなすれ違いがTwitterや日常会話の中で頻発しています。

このすれ違いはお互いムダに消耗するし、会話にもなっていないので、個人的には完全に撲滅してほしい現象です。。

このムダなすれ違いが少しでも早く撲滅してほしいと願って、この記事を書いてみました。

みなさんは、普段どちらの「読書」をすることが多いですか?
また、2つの「読書」を意識して使い分けられていたでしょうか?

さいごに

今回は、「読書」という言葉の意味は2つある、というテーマについてでした。

これを機に、いまどちらの「読書」について話しているかを意識していただけると幸いです。

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