こんにちは、ニンジャです!
今回は、芦沢央・作『火のないところに煙は』の感想・考察を書いていこうと思います。
映画を見た後、友達と語り合うようなイメージで読んでくれたらうれしいです!
ネタバレしてます!未読の方は読まないでください!!
『火のないところに煙は』のあらすじ
まずは簡単にあらすじをご紹介します。
『火のないところに煙は』は、5つの話+最終話の計6つの話で構成されています。
第一話~第五話は雑誌で連載されていたもの。そして最終話は文庫本の書きおろし。
実際に雑誌で連載されていたものをまとめた作品なので、第一話~最終章まで時系列に並んでいます。
『火のないところに煙は』という作品をひとことで表すと、自伝的怪談といえます。
この作品はフィクションではなく、作者である芦沢央さんが実際に体験したことをベースに作られたお話です。なので、主人公は他でもない芦沢央さん自身です。
第一話「染み」では芦沢央さん自身が遭遇した怪奇現象についてのお話です。
このお話で書いて発表することで、自身が遭遇した怪奇現象について解明したというねらいがあります。なのでこの話の最後は、小説らしからぬ奇妙な終わり方をします。
この機会を逃せば、おそらく私は再び考えまいとし始めるだろう。日々の忙しさにかまけて、見ないふり、気づかないふりをし続けるはずだ。
『火のないところに煙は』(芦沢央・作)第一話「染み」より
だからこそ、 私はここで、 この話を書くことにした。
これを読んだ方の中で、「同じような話を聞いたことがある」「この人物を知っている」など、 何か思い当たることがあれば、「小説新潮」 編集部宛にご一報いただけたら幸いである。
これは完全なフィクションでも、ただただ事実を書き連ねた本でもありません。
実際に体験したこと・聞いたことをベースにした怪談に、芦沢央の手によってミステリー要素を加られえた新感覚の小説。
怪談でもミステリーでも無いと同時に、怪談でもミステリーでもある。そんな既存のジャンルに当てはまらない作品です。
『火のないところに煙は』の感想・考察
1.ミステリーのタブー‼”分からない”
『火のないところに煙は』という作品を読み終わって一番最初に思ったことは、「分からないことが多いな~」です。
例えば、第一話「染み」から度々登場する「神楽坂の母と呼ばれるソバージュの占い師」は、結局最後まで、「何者なのか?」「その占い師の仕業だったのか?」が明かされません。
またそれぞれのお話でも同じで、たとえば第二話「お祓いを頼む女」で「トシフミ君が聞こえたという声」は、結局何なのか?は謎のままです。
本来ミステリーならこんなことはありません。
犯行のトリックや動機、犯人の心情などすべてが明かされることが一般的だと思います。
これまで読んだミステリー小説で、結局犯人もトリックも分かりませんでした。という話はなかったはず!
なので”分からない”なんて完全フィクションのミステリーならありえません。興覚めです。
もしこれが完全創作のミステリー小説なら、「いや、神楽坂の母と呼ばれる占い師は何だったんだ!」となります。
ただこの作品は完全創作ではありません。実話をベースにした怪談×ミステリーです。
この”分からなさ”が実話ならではのリアリティを出しています。
ミステリーにおいてタブーである”分からない”という要素によって、リアリティが増す上に、怪奇現象の本当の気味悪さが自分で体験したかのように伝わってきます。
2.犯人は幽霊?人間?それとも…
次に特筆すべきことは、ミステリーの側面です。
”分からない”要素によって、怪談の部分がリアリティを増して、際立っていたと前述しました。しかしミステリーの部分も怪談の要素に負けず劣らず、際立っています。
この作品は、各章にオチとなる”種明かし”があります。(もちろんこの”種明かし”も作者の芦沢央さんやオカルトライターの榊さんの解釈なだけであって、本当の事実かどうかは”分からない”ですが…)
この”種明かし”で「霊の仕業かと思ったら人間の仕業」や「人間の仕業かと思ったら霊の仕業」みたいなどんでん返しが繰り返されます。
たとえば第三話「妄言」では、最初は人の怖さを描きます。
隣人に住む寿子という女が、「浮気をしているのを見た」「あなたは女の人を殺した」などと身に覚えのない言いがかりを付けてきて…という話です。
最初のほうは寿子の異常性ばかりに目がいきます。ただ途中で気になる点も。。
「カメラで証拠を撮ったのに写らなかった」「シンドウさま」「大きな御札」などなど怪談につながりそうな要素もちりばめられていきます。
そしてさいごに訴訟記録を読んだ榊さんは、寿子は未来が見える人物で「予言」をしていたのではないかと結論付けます。
最初は人間の怖さかと思ったら、霊的なものが話に出てきて、最後は霊的な説明で”種明かし”をするという構成です。
この作品は、すべて霊の仕業でもあり人間の仕業でもあるという結末。
その人間の仕業の部分にミステリー要素が加えられており、怪奇現象をただの怪談で終わらせない重要な役割をになっています。
3.ウソとホントの境界線
さいごに、どこまでがウソでどこまでがホントか、わかんなかったですよね?という話をします(笑)
全体的にウソかホントか分からないのですが、一番わからないのはオカルトライターの榊さんです。本当に実在する人物なのか、フィクションなのか謎です。。
最後には連絡がつかず、SNSの更新も途絶えているという不穏な情報が入っているのですが、これはホントなのでしょうか?
Googleで検索してみたりしたのですが、とくに情報は出てきませんでした。(笑)
実際に体験した実話にミステリー要素を追加し、フィクションである小説として完成されているがゆえに、ホントかウソか見分けがつかない作品となっています。
もやもやする部分ではありますが、これがこの小説の最大の魅力じゃないかなと思います!(もし本当なら榊さんが心配ですよね。。)
さいごに
今回は、芦沢央・作『火のないところに煙は』の感想・考察について書いてみました!
あくまでニンジャが主観的に感じたこと、思ったことなので別に正解というわけではありません。
皆さんの感想もコメントくれたら嬉しいです!Twitterもあるのでぜひ!
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