広島県にある”似島”ってどんな場所?【歴史的に面白い!】

広島県にある似島とは?名前の由来、歴史旅行記

こんにちは、ニンジャです!
今回は、先日行ってきた広島県にある”似島”についてご紹介できればと思います。
”似島”は、”にのしま”と読みます。

広島駅から電車とフェリーで1時間もかからずに行ける”似島”ですが、意外と知らない方も多いのではないでしょうか?観光地としても、結構マイナーな場所だと思います。

そんな知られざる”似島”ですが、実はすごく面白い歴史がつまった場所だったんです!

今回は、そんな”似島”のことを紹介したいと思います。

広島県にある”似島”とは?

まずは、簡単に”似島”がどういった島なのかをご紹介します。

”似島” は、広島県広島市にある小さな島です。
信号もなく、バスやタクシーも走ってはいませんが、無人島ではなく住んでいる人がいる有人島。

コンビニは見当たらなかったですが、小さな売店みたいなお店が港の近くにありました。また、学校もあって、僕が乗ったフェリーには学校帰りと思われる子供も乗っていました。

広島市に属する島なので広島駅からは意外と近くて、電車で20分くらいかけて広島港(宇品)まで行き、広島港(宇品)から20分くらいフェリーに乗れば到着です!

”似島”の名前の由来とは?

”似島”という変わった名前ですが、由来は諸説あるようです。

パンフレットとかに一番のっていた説は、「富士山に似た山がある島」ということで”似島”になったという説。

似島を遠くから見た写真。富士山に似ている。安芸の小富士。

上の画像が引きで見た”似島”。
たしかに、富士山に見えなくもないです。。

似島。富士山に似ている。安芸の小富士。

こちらがフェリーからの”似島”。
この富士山に似ている山は、「安芸の小富士」とも言われていて、昔から富士山に似ている山だと思われていたようです。

北海道にも「蝦夷富士」と呼ばれる山がありますが、身近な山が富士山に似ているように見えるほど、日本人の富士山愛は強いんだな~と感心しました。

めっちゃ面白い”似島”の歴史とは?

では、本題の似島の歴史についてです。
3つの小見出しに分けて、ご紹介します!

検疫所としての”似島”

”似島”の歴史は、検疫所として始まります。
日清戦争期にコレラ・赤痢などの感染症が流行したことを受けて、”似島”が検疫所として選ばれます。

広島港(宇品)から近いですし、当時から広島県呉市は海軍の軍港として使用されていたので、そういった利便性の観点から選ばれたのかもしれません。

そんなわけで、”似島”は検疫所として海外から帰ってきた兵士を受け入れる場所となりました。

ちなみに、”似島”を検疫所にしようプロジェクトを指揮したのが後藤新平。
僕は時間の都合で見られなかったのですが、島には後藤新平の銅像があるらしいです。

捕虜収容所としての”似島”

検疫所として使われていた”似島”ですが、日露戦争・第一次世界大戦期になると、捕虜(正確には「俘虜(ふりょ)」と呼ばれていたらしいですが)を収容する施設が作られます。

ロシアから連れてきた捕虜たちを、この収容所に連れてきていたそうです。

第一次世界大戦が始まったときも収容所として使われており、青島(チンタオ)のドイツ軍を侵攻した際には、4000人のドイツ人捕虜を”似島”に収容しました。

そんな捕虜のなかに、ひとりの青年がいました。
彼の名前は、カール・ユーハイム。洋菓子店で働いていたのですが、兵士でもないのに数あわせで日本につれてこられてしまいました。(ドイツ兵士は3906人でしたが、4000人にするために民間人も連れてきたそうです、、!)

彼は、ドイツで定番のあるお菓子をこの”似島”で作ることになります。
なんと、”似島”は日本で初めてバームクーヘンが焼かれた場所

そして、このとき連れてこられたカール・ユーハイムさんこそ、現在日本でバームクーヘンなどを販売している洋菓子メーカー大手の「ユーハイム」創業者なのです。

捕虜収容所としての歴史が、バームクーヘンへと繋がるのがとても面白いなぁと思ったとともに、バームクーヘンや「ユーハイム」という会社は捕虜がきっかけで日本に誕生したのか、、と複雑な気分にもなりました。

戦後の”似島”

このように、検疫所や収容所など、戦争とは深い縁を持つ似島ですが、戦争が終結したあとには野戦病院として被爆者をはじめとした、戦争による怪我人を治療する場所として使われていたそうです。

被爆者を受け入れて治療に当たったという歴史から、戦没者の慰霊碑も島に置いてありました。

日清戦争で検疫所となってから、第二次世界大戦の終結以降も戦争と深い関わりを持った場所なのです。。

さいごに

今回は、広島県”似島”についてご紹介しました。
”似島”の歴史は戦争と切っても切り離せません。
広島県に行って思ったのですが、これは”似島”だけではなく、広島県全体に言えることだなぁと感じています。

広島市内には原爆が投下されて、今でも原爆ドームのような被爆した建造物や物が残っています。
呉市はずっと造船所や海軍の軍港として使用されていた歴史から、「大和ミュージアム」という戦時中の呉市を伝える博物館があります。

このように、広島県ではどこに行っても戦争のことを学べる施設が豊富にあるなぁと感じました。

この旅行で、呉市にある「大和ミュージアム」と海軍資料館である「てつのくじら館」に行ってきたので、その事は別の記事に書いています!

ということで、今回は広島県の”似島”に行ってきたお話でした~

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