【考察】『聲の形』を読んで考えたこと、感想

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こんにちは、ニンジャです!
今回は、『聲の形』という漫画を読んで考えたこと、感想をまとめたいと思います!

それなりに本編の内容には触れていますので、内容を一切入れたくないという方は、ぜひ漫画を読んでから戻ってきていただければと思います!

『聲の形』を読んで考えたこと

1.思い出させる、あの日の後悔

『聲の形』という作品は、”人間関係における後悔”について描いた作品です。

超大まかにストーリーをまとめると、石田将也という少年が、「耳が聞こえない」ということを理由に、小学生の頃にいじめていた西宮硝子との関係を、高校生になって改めて模索するという筋書き。

もちろん、西宮硝子をいじめていたことを石田将也が後悔しているのですが、西宮硝子の側も彼女なりの後悔を抱えています。

また、石田将也と西宮硝子以外にも、当時おなじ小学校の友達だった人、今の高校での友達など、さまざまな登場人物が現れますが、どの登場人物も特有の後悔を抱いています。

この”人間関係における後悔”は、自分も心当たりがあって、少しほろ苦い気持ちになりました。

おそらく、誰にとっても”人間関係における後悔”というのはあるかと思います。

この作品を読んで僕は、小学生の頃の人間関係を思い出しました。

「好きと言われて恥ずかしくなって、無視してしまったこと」「相手の好きなことを否定してしまったこと」など、いま思えば、なんであんなことしてしまったんだろう、、と思うことがたくさんあります。

小学生の頃のだけでなく、人生を振り返ると、「今の自分だったらこうするのなぁ」とか「今の自分なら、あの人と趣味も合って友達になれたかもなぁ」というふうに、もっと違った接し方や違った関係があったのになぁと後悔してしまいます。

このような”人間関係における後悔”は、多くの人に思い当たる節があるなではないかと思います。

『聲の形』を読むと、その後悔が胸に蘇るとともに、その後悔を拭い去ろうと奮闘する石田将也や西宮硝子たちが眩しく見えると思います。

2.人間関係に悪人はいない

この物語は、「いじめ」がひとつのテーマとなっています。もちろん、いじめは犯罪行為で許されるものではありません。その点においては、いじめる側が悪人で、いじめられた側は被害者であることは疑いようがないと思います。

それはもちろん前提としてあった上で、しかし「人間関係において悪人はいない」という風に、この物語を読んで感じました。

この物語には、「悪人にみえる人物」が多く出てきます。

西宮硝子の母親は、我が子にあまり関心を示さず、子どもに寄り添わない大人のようにみえます。

植野直花という同級生は、西宮硝子のせいで人間関係がめちゃくちゃになったと、西宮硝子を嫌っています。

他にも、前半に出てくる登場人物は、みんな敵・悪人のように見えるのです。

しかし、物語が進むにつれて、それぞれが単なる悪人では無かったことに気付かされます。

具体的なシーンの言及は避けますが、西宮硝子の母親も同級生の植野直花も、それぞれ自分のなりの考えや世界の見え方があり、自分なりに相手のことも考えて行動していたことがわかります。

いじめていた石田将也も、いじめられていた西宮硝子も同じです。

いじめていたから石田将也は悪者、被害者だから西宮硝子は善人、植野直花もいじめていたから悪者、みたいに単純に2分割できる問題ではないことが、この物語を通して感じられました。

ここで注意してほしいのが、悪人でない=善人、というわけではないということ。

人間は、悪人でもなければ善人でもない。もっと言うと、誰が見るかによって、その人が悪人か善人かの評価は変わりますし、どの部分を切り取るかでも評価は変わるということです。

物語では、いじめていた石田将也が悪人だと見えます。ただ、同級生の植野直花からすれば、いきなり転校してきて石田将也との関係を変えてしまった西宮硝子こそ、許せない悪人なのです。

小学校や中学校などの学校では、トラブルが起こると、先生が来てどっちが悪いかを判断する場面がよくあります。

一面的にみると、悪人に見えるその生徒も、実は悪人というわけではなく、被害者である生徒の方もまた善人というわけではないのだなぁ、と感じました。

関係の中の人間は、玉虫色です。

3.人間関係は面白い

『聲の形』という物語は、人間関係について考えさせる物語だ、と僕は捉えました。

これまで書いてきたように、人間関係は複雑で、後悔も多く、なかなか捉えどころのない難しいものだと感じます。

でも、だからこそ、やっぱり人間関係は面白いなぁと感じることができました。

改めて自分と他者との関係を考えると、すごく偶発的で運命的です。

いま仲良しの友達だって、少し出会い方が異なれば。たとえば、高校の時ではなく中学の時に出会っていれば。また、部活の友達としてではなく、塾の友達として出会っていれば。

このように少し出会い方が変わるだけで、もう名前も思い出せない存在になっていたかもしれません。

反対にいうと、いま名前も思い出せないあの人と、出会い方が違えば大親友になっていた可能性もあるということです。

考えれば考えるほど、人間関係とは偶発的で、自分の意思とは別のところで動いている複雑な何かなんだなぁと感じざるを得ません。

だからこそ、人と人とが出会って親しくなること、また、親しくならないことは面白い現象だなぁと感じました。

さいごに

今回は、『聲の形』という漫画を読んで考えたこと、感想として、人間関係について書きました。

僕は『聲の形』を、人間関係の物語と捉えましたが、もっと他にも魅力がある多面的な素晴らしい作品です!

まだ読んだことないよ!という方は、ぜひぜひこの機会に読んでいただければと思います。

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