こんにちは、ニンジャです!
今回は、芦沢央・作『許されようとは思いません』という作品の感想や考えたことを書いていきます。映画を見た後、友達と語り合うようなイメージで読んでくれたらうれしいです!
ネタバレしてます!未読の方はご注意ください!!
『許されようとは思いません』のあらすじ
まずは簡単にどういう作品か、概要を紹介します。
『許されようとは思いません』は、5編からなる短編集。それぞれの話は独立していて、特に関連性は見られません。
全体を通して言えることは、人間の怖さ・狂気を中心に据えたミステリーだということです。これから各章の感想・考察を書いていきますが、すべての章に人間の狂気が描かれています。
『許されようとは思いません』の感想・考察
1.「目撃者はいなかった」
1つ目の「目撃者はいなかった」では、発注ミスで三十五万円分多く発注してしまった男・修哉がそれを隠ぺいする、という話です。
ただこの話のメインは、発注ミスの隠ぺいではありません。
修哉は会社を休んでミスを隠ぺいする過程で、交通事故の目撃者になってしまいます。証言者は修哉しかいなくて、修哉が証言しないと交通事故で亡くなった方が、誤って加害者にされてしまうという状況。
自分のミスを隠ぺいするために証言者として名乗り出ないか、加害者にされてしまっている人のためにミスを公にしてでも証言するか、という揺れ動きがひとつの見どころです。
そしてこの物語は圧巻の結末を迎えます。
事故で亡くなり加害者にされてしまっている男の妻が、修哉を別の事件の犯人に仕立て上げ、自分の発注ミスを告白しないと、容疑者として逮捕されてしまう状況を作り上げたのです。すべては目撃証言をさせるために。
この話が面白いのは、発注ミスの隠ぺい工作というそれだけでひとつの話になりそうな要素が、あくまでもフリである、ということです。
そこからは、交通事故の目撃証言をするかどうかという話に移り変わり、さいごには放火事件の犯人に仕立てられる、というスピード感のある怒涛の展開。
ミスを隠ぺいするために引き下がれなくなった修哉、目撃証言をさせるために放火犯に仕立て上げた女性、両者の狂気が描かれた作品です。
2.「ありがとう、ばあば」
2つ目の「ありがとう、ばあば」は、おばあちゃんが孫の杏によって、冬の寒空の下ベランダに締め出されたところから始まります。
なぜ孫は私を殺そうとしているのか…?が軸となる物語。
締め出されたおばあちゃんは、孫である杏を子役として活躍させるために、食事を制限したり学校に行かせなかったりと、厳しい指導を行っていました。
だから嫌われてしまったんだ…。杏は我慢して子役をやっていた、だから今自分は殺されようとしていると、おばあちゃんは考えます。
しかしこちらも衝撃的な結末を迎えます。
杏は子役をやること、子役としてブレイクするためにストイックな生活を送ることを苦にしていませんでした。むしろ子役として活躍するために何でもすることを望んでいたのです。
自分の太っていた時の写真が世に出ないために、ばあばを殺すという狂気が明かされた最終行は、本当に圧巻でした。。
少し前に杏が「喪中」について尋ねるシーンがありました。何気ないシーンだと思って軽く読んでいたのですが、まさかラストにつながる伏線だったとは…。
伏線のさりげなさ、動機の異常さが相まって、まったくラストが予想できない作品でした。
3.「絵の中の男」
「絵の中の男」は特に最初に事件が起きるわけでも、不可解なことが起こるわけでもありません。物語は有名な画家・浅宮二月と親しくしていた家政婦による昔語りで進んでいきます。
ちなみに、使用人による語りで物語が進行していくという形式は、芥川龍之介の『地獄変』に倣ったものだと考えられます。
芥川龍之介の作品の中でも、特に有名ですので読んだことがない方は、この機会にぜひ読んでみてください!
さて、「絵の中の男」もついてですが、
この物語の謎としては、朝宮二月が夫を殺した真相です。
真相としては天才・朝宮二月には敵わないと考えた同じく画家の夫が、自分のむごい死を題材に絵を書いてもらうため自分を殺させた、というものです。
朝宮二月は当時、満足のいく作品を完成させられない、スランプに陥っていました。
朝宮二月は家族の死・息子の死などからインスピレーションを得て作品を生み出す画家だったので、自分のむごい死を見せれば、創作意欲が沸くのではないかと考えたとのこと。
夫は天才・朝宮二月の作品として生き残ることを選んだのです。
ただ朝宮二月は夫の死では1枚しか絵を描くことが出来ず、もう絵を描かずにすむように、夫を殺害したことを認め刑務所に入るのです。
この物語のポイントは、朝宮二月の夫の狂気ではないかと思います。
自分の死を題材に作品を生み出させたい、天才・朝宮二月の題材として後世に残りたいというゆがんだ欲望が見られます。
ただ個人的な感想でいうと、あまりこの話には意外性を感じられず、ドキドキしませんでした。どの動機もなんとなく想像のつくもので、種明かしされてからもどことなく腑に落ちる感覚がありました。
朝宮二月も、その夫も芸術家なので意外性がなかったのかな…?と自分が意外に感じなかった理由を分析しています。。
4.「姉のように」
『許されようとは思いません』に収録されている話の中で、いちばん仕掛けの妙を楽しめた作品だと思います。
「姉のように」は、3歳の女児を虐待死させた母親・志摩菜穂子について書いた、新聞記事の文面から始まります。そして主人公・”私”の姉が犯罪を犯したことが分かる描写が続きます。
この時点で完全に「主人公の姉が犯した犯罪=虐待死」とミスリードさせられました。
時系列を逆にするという今考えれば見破れそうな構成ですが、人間1ページから2ページ目へと時間が進んでいくように錯覚してしまうものですね。(笑)
この後も”私”の名前はでてきません(1ページ目の新聞記事に名前が出てるのでばれないように)。人から呼ばれるときも「おまえ」「ユイちゃんママ」などと呼ばれ、名前で呼ばれることはありません。
物語の途中ではところどころ伏線が張られます。
ママ友のひとりが「財布がない」と言ったとき、全員の視線が”私”に集まるという描写。
これは姉の犯罪が窃盗であることの伏線です。
また”私”が母、夫、ママ友の誰からも名前で呼ばれないことは、もちろん”私”が虐待死の犯人だということを隠すためでもありますが、それほど信頼できる人が周りにいなかったことを表していると思います。
これは虐待死の犯人である母親の供述「相談できる相手がいなかった」という部分に繋がると思います。
この物語のテーマは作中に出てくる次の一文に集約されると思います。
同じ出来事でも、別の情報をつけて見せられれば全く違う印象になる。
『許されようとは思いません』芦沢央・作
5.「許されようとは思いません」
亡くなった祖母が暮らしていた村に、交際して結婚も頭に置いている彼女と訪れる、というところから物語は始まります。
途中で祖母が殺人を犯したということ、この村はなんだかおかしいということが明かされていきます。
祖母の暮らした村は極端に排他的な村で、村で生まれ育った人以外を疎外します。
祖母も村八分の状態でずっと酷い仕打ちを受けていたとのこと。
そして祖母が殺人を犯したことで村八分以上の仕打ちを受けることになり、墓を掘り起こされるにまで至っていました。
その掘り起こされた骨を再度、お墓に埋めるために村にやってきたという流れです。
この物語の結末は、祖母はわざと人(世話をしていた曾祖父)を殺して、村八分以上の仕打ちを望んで受けた、というものです。すべては、村八分以上(村十分)となりこの忌まわしき村に埋葬されずに済むように。
そのために祖母自ら、「墓を掘り起こす」「寺の門を閉める」といった行動をとったと考えられます。
ひとつ疑問なのは、土砂崩れで主人公の母親が迎えに来られなくなったこと。
これは別に祖母が納骨されるのを防ぐ効果があるかと言えば、無いような気がします。
確かに、車があった方が移動時間が短縮され門を閉めても別口に回られやすくなりますし、土地勘のある母親の方が寺に入る方法を見つける可能性は高まります。
ただすべての門を閉めればそれまでだという気がしますし、母親が居てもいなくても関係ないように感じます。
そこで個人的な考えとしては、主人公・諒一と水絵を結婚に導くための、祖母からの手助けではないかと思います。
物語の最後でふたりが結婚へと一歩踏み出す様子が描かれるのですが、おそらく母親が居る前ではそんな展開にはならないでしょう。
この旅の中で諒一は水絵が結婚する・家族になるということについて深く考えていて、理解しているということに気づきます。これも祖母を想いを水絵がくみ取ったのを見たからです。
これは祖母が犯した殺害の謎、村の人々の狂気などの物語ではありますが、家族になるということの重さをテーマにした物語でもあると思います。
家族になることで苦しめられた祖母が、それでも孫が誰かと家族になることに手助けをするほど、家族になるというのは素晴らしいことなのだと思いました。
さいごに
今回は、芦沢央・作『許されようとは思いません』の感想・考察を書きました。
色々なパターンの作品が集められていて、とても刺激的な1冊になっていたと思います!
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