【考察】『正欲』(朝井リョウ・作)を読んで考えたこと

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こんにちは、ニンジャです!
今回は、『正欲』(朝井リョウ・作)を読んで考えたこと・考察を書いていこうと思います。

ネタバレがあるような物語ではないですが、読む前に極力物語の情報は入れたくないという方は、ぜひ『正欲』を読み終えてからまた読みに来てください!

マジョリティが定義する「マイノリティ」

『正欲』は、誰かの独白(後に佐々木佳道の書いた文章だと分かります)から始まります。僕はこの文章を読んで、この物語はマイノリティの物語であることを理解しました。

そして、本編に進むと児童ポルノ摘発のニュースが登場します。
その次には不登校の息子とその父親、異性と恋愛をして結婚をするという王道から外れているように見える神戸八重子と桐生夏月、それぞれの物語が始まります。

舞台は公園や大学やショッピングモールという、いかにもマジョリティ的な施設です。
そんなマジョリティ的な施設から少し浮いているのが、各物語の主人公たち。

僕はこの冒頭数十ページを読んで、「なるほど、異性と恋愛をして結婚をして子どもを授かるというマジョリティ的人生から少し外れたマイノリティの話なのかな」と思っていました。

しかし、もっと先へ読み進めていくと、どうやらそのようなマイノリティの話ではないということが分かってきます。

そして桐生夏月と佐々木佳道は、水に性的な興奮を覚えるということが明かされます。この物語は、マイノリティの人物を描いた物語だということは冒頭から明かされていました。

しかし、水に性的な興奮を覚えるというマイノリティの話だと予想できたでしょうか?
僕は、まったく予想できませんでした。

「マイノリティ」という言葉が指し示す範囲はマジョリティによって定義されていて、無意識のうちに自分もその定義の範囲内でマイノリティを想定していたということに、この作品を読んでいる途中に気づかされました。

桐生夏月と佐々木佳道が水を性的に見ているという事実を知らされてはじめて、冒頭の佐々木佳道の文章にあった「多様性」についての解釈の意味を理解しました。

マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる”自分と違う”にしか向けられていない言葉です。

『正欲』朝井リョウ・著

この物語は、多くの読者(=マジョリティ)がいかに自分が想像しうる”自分と違う”の範囲内でマジョリティを定義しているかを、身をもって感じさせる構成になっていると感じました。

社会は「性欲」でできている

この物語が与える気づきに、「社会は性欲でできている」ということがあると思います。
社会の最小単位ともいえる「家族」ですが、物語の中で「家族」はとても特徴的な言葉で説明されています。

神戸八重子は、家族を「恋愛感情によって結ばれた二人組」や「もともとはある二人組の恋愛感情から生まれた団体」という説明をします。

社会のもっとも小さな形である「家族」は、異性への恋愛感情を根拠にした関係です。それは、社会を支える根幹に「性欲」があるということに他なりません。

また、寺井啓喜は息子の泰希と妻の由美、そして妻の由美と関係を持っているであろう右近の3人を見たときに「親子みたいなシルエットだ。」と感じます。

右近と泰希は親子ではなく、寺井啓喜と泰希こそ正真正銘の親子であるにもかかわらず、そう感じたのは由美と右近が「性欲」を根幹とした関係を気づいていたからではないかと思います。

このようにこの作品は、社会が同じ性欲を持つ人同士の連帯で成り立っていること、それがゆえに社会との「繋がり」も性欲が同じということによってのみ生まれることを指摘しています。

社会が同じ性欲を持つ人同士の連帯だとしたら、社会が正しいと定めたものと異なる性欲を持つ人は「通常ルートから大きく外れた」人であり、「この世のバグ」とみなされていまいます。

つまり、性欲には正しい性欲と間違った性欲が存在することになります。
正しい性欲は異性の人間(ただし子どもは除く)に対するもの、間違った性欲はそれ以外に対するものです。

この物語は、性欲に裏切られ社会から排除された人々が、なんとかして社会との繋がりを得て「明日死にたくない」ようになるかという物語だと思います。

そういった意味では全体を通して希望が垣間見える前向きな物語だと感じましたし、特にラストの「いなくならないから」という言葉はこれまで社会から孤立していた桐生夏月と佐々木佳道との間に、強い”繋がり”が芽生えたのだと感じました。

性欲が異なる二者に「繋がり」は生まれるのか?

この『正欲』という物語は、「多様性」「ダイバーシティ」といった言葉が叫ばれている現代に重要な問いかけを投げかけていると思います。

それは、性欲が異なる他者のことを受け入れ、本当の意味で「繋がり」を持つのか可能なのか?ということです。

この物語でいうと、児童に性的な感情を抱く人、水に性的な感情を抱く人、異性の人間に性的な感情を抱く人はお互いに本当に分かり合えるのでしょうか?

『正欲』の中では、桐生夏月と佐々木佳道は強い「繋がり」を得ることができました。また、同じ性欲を持つ諸橋大也も「繋がり」を感じることができています。

これは社会的に孤立していた人々が社会との繋がりを得るという意味では希望的ですが、結局は同じ性欲を持つ人同士でしか繋がれないという現実を表しているようにも感じます。

しかし、『正欲』の中には異なる性欲を持つ人同士でも、話せばお互いに理解し合えるという態度を取っている人物がいました。神戸八重子です。

物語の終盤、桐生夏月と佐々木佳道らの集まりに向かう諸橋大也と、諸橋大也の家にやってきた神戸八重子との会話がありましたが、一貫して神戸八重子は諸橋大也と話し合って分かり合おうとします。

諸橋大也は対話しても分かり合えるはずがないという態度で臨みますが、二人のやりとりの終盤には「もしかしたらこの二人は分かり合えるのかもしれない」と思わせる描写があります。

「また絶体、ちゃんと話そうね。私のことも、繋がりのうちに数えておいてね」
大也は、自分でも驚くほど素直な気持ちで一度、頷いた。

『正欲』朝井リョウ・著

『正欲』は、多様性を尊重すること、人と分かり合うことはどれほど難しいことであるか考えさせてくれる作品です。

僕は、異なる性欲を持つ人同士が分かり合うことは難しいのではと考えました。

僕自身、自分が考えもしないところで「性的なこと」になっているのは、正直怖い気持ちもあります。性という人間の根源的な部分に関わるものだからこそ、その分自分と異なるものへのアレルギー反応は大きくなると思います。

しかし、対話が不要だとは思いません。

むしろ、異なる性欲を持つ人同士が分かり合うことは難しいからこそ、対話が必要なのではないかと思います。

僕はこの作品を通して、この社会が性欲を基盤にして作られていること、様々な性欲を持つ人がいること、異性の人間以外に性的な感情を抱く人は社会から疎外されていることに考えが及びました。

そういったことに考えが及んで初めて、多様性を尊重すること、他人と分かり合うことの難しさを理解しはじめることが出来るのだと思います。

つまり、異なる性欲を持つ人同士が対話をすることによって、「分かり合えないということ」を分かり合う必要があります。

多様性を尊重すること、分かり合うことはそんなに簡単なことじゃない。
でも、「正しさ」を押し付けて強要することは決してしない。

このような態度が、本当の意味で多様性を尊重することにつながるのではないかと思います。

皆さんは、神戸八重子と諸橋大也は「繋がり」を持つことができると思いますでしょうか?

“寺井啓喜”の存在が伝えること

さいごに、少しだけ「寺井啓喜」について書いて終わろうと思います。

この物語の登場人物の中で、寺井啓喜だけ少し浮いているように感じませんか?

桐生夏月、佐々木佳道、神戸八重子などは生きづらさを抱えているマイノリティとして描かれていますが、寺井啓喜は完全なマジョリティ側として描かれています。

マイノリティである登場人物を際立たせるためのマジョリティ、という風にも解釈できるのですがそれだけではないように感じます。

僕がそう思ったのは、次の文章を読んだ時です。

みんな本当は、気づいているのではないだろうか。
自分はまともである、正解であると思える唯一の拠り所が”多数派でいる”ということの矛盾に。
三分の二を二回続けて選ぶ確率は九分の四であるように、”多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派であることに。

『正欲』朝井リョウ・著

これは寺井啓喜のことを言っている、と思いました。

寺井啓喜は圧倒的に正しく、マジョリティ的な考えの持ち主で多数派にずっと立ち続けてきた人物です。

しかしそれがゆえに、パートナーの由美や息子の泰希、仕事上の相方である越川と分かり合えない状態となっています。

つまり、今は「多数派」に安住している人々もいつ何時「少数派」に属するようになるかは分からない、と感じさせてくれるのが寺井啓喜という存在なのです。

そう思うと、「少数派」に属する人が生きやすい社会にすることは「多数派」にとっても役に立つことなのだと思います。だって、明日は「少数派」にいるかもしれないのですから。

佐々木佳道と桐生夏月が同居生活をするうえで定めたルールのひとつ「自殺禁止」について、佳道の考えが表れた部分を引用して終わりたいと思います。

そうして体内に気付かれた宗教が重なる誰かと出会ったとき、人は、その誰かの生存を祈る。心身の健康を願う。それは、生きていてほしいという思いを飛び越えたところにある、その人が自殺を選ぶような世界では困る、という自己都合だ。

『正欲』朝井リョウ・著

さいごに

今回は、『正欲』(朝井リョウ・作)を読んで考えたこと、考察について書いていきました。

社会とのつながり、多様性、性欲の正しさなど様々なことを考えるきっかけを与えてくれる、とても良い作品だったと感じています。

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