【考察】『六人の嘘つきな大学生』を読んで「印象」について考えた

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こんにちは、ニンジャです!
今回は、『六人の嘘つきな大学生』(浅倉秋成・著)を読んで考えたこと・考察を書いていきたいと思います。

イメージとしては本の最後にある「解説」のような感じで、考察のような感想のような内容になるかと思います。

考えたことを書くので本の内容にはそこまで言及しませんが、絶対にネタバレは避けたいという方は、ぜひ『六人の嘘つきな大学生』を読んでからまた読みにきてください!
本屋大賞にもノミネートした作品で、とても面白いのでおすすめです!

『六人の嘘つきな大学生』は「印象」について取り組んだ物語

まずはじめに、僕が『六人の嘘つきな大学生』をどう解釈したかについてと、「就活」という舞台設定の秀逸さについて書きます。

僕は、この作品は「印象」について真正面から取り組んだ物語だと解釈しました。

『六人の嘘つきな大学生』は、就活を舞台とした作品です。
そして、物語は登場人物に対する印象が移り変わることによって展開していきます。

「印象」を真正面から取り組むにあたって、「就活」というテーマはばっちりハマっているなぁと思います。

なぜなら、就活とは「印象にまつわる問題」が先鋭化して極端に表れている場所だから!

どういうことか?

就活を経験した方は分かると思いますが、就活において「印象」ほど大切なものは無いと言っていいでしょう。もっと言えば、就活では企業も学生も「印象」でしか何も決めることができないのです。

なぜか?

1つは、企業はひとりの求職者(学生はひとつの企業)にかけられる時間が短いこと。
もう1つは、就活生は社会人経験のない大学生だということです。

新卒採用は1年をかけて行うわけでなく、基本的に3月〜6月の約4ヶ月間ほどの期間で行います。企業はその期間に決められた人数を採用するため、ひとりひとりにじっくりと時間をかけている場合ではありません。

特に人気企業ではエントリーする学生の数が多いため、エントリーシートという紙1枚で大部分の学生を落とし、その後も15分〜30分ほどの面接で次々に学生を落とします。そうしないと、到底人数を絞れないからです。

これは、学生側も同じです。
日本だけで見ても、新卒採用を行なっている会社はかなりの数存在します。就活でエントリーできる企業数は、たかだか数十社が限界。

数多くある企業から、エントリーする数十社を選ぶ必要があります。新卒採用している会社すべてを事細かに調べて、エントリーする会社を決めることは現実的に不可能。。

こうして考えると、採用される学生側も採用する企業側も、短い期間のなかで膨大な数の選択肢から少数を選ぶ必要があることがわかります。

こういう状況では、何が判断基準になるかというとイメージ、つまり「印象」です。

1枚のエントリーシート、15分の面接で分かることなんてしれています。こんな少ない情報では、第一印象で何となく決めてしまっても仕方ありません。

学生側も同じです。
そもそも、学生は99%の企業を知りません。その状態からなんとなく知っている企業を調べ始め、その中で良さそうなところにエントリーします。だから、一部の人気企業(多くが知名度のあるtoC企業)にエントリーが偏るのです。

つまり学生側も、そもそも企業を調べる段階で「印象」をもとにフィルタリングをしているのです。

もうひとつの側面は、就活生は社会人経験のない学生だということ。

中途採用なら、これまでどんな仕事をしてきてどんなことができるか、どのような成果を出したかなど、採用するかどうかの判断に直結する情報を聞き出せます。

しかし、新卒採用ではそのような質問はできません。なので、大学時代のサークル活動やアルバイトのことなど、採用にはあまり関係のないことを聞くしかありません。

そもそも、文系の新卒採用は総合職という形で、採用してもどんな仕事を割り振るか決めずに採用することも多いです。

そうなると、ますます採用するかどうかの判断基準を持つことが難しくなります。

これは、学生側も同じこと。
社会人経験がないため、世の中にはどんな仕事があるのか、働くうえで自分は何を重要視するのか、など企業を選ぶうえで必要な判断基準を明確にできません。

学生に社会人経験がないことによって、企業側も学生側も判断基準を持つことができないのです。判断する基準が明確に無いとしたら、各個人の感覚(つまり「印象」です)で判断するしかありません。

このように就活は、

①短期間で膨大な数から選ばないといけない
②明確な判断基準が存在しない

という2点の理由から、「印象」で決めていくしかない状態になっています。

ここで、『六人の嘘つきな大学生』の話に戻します。

『六人の嘘つきな大学生』は「印象」について取り組んだ作品で、就活という舞台設定はバッチリだったと書きました。

その理由は、ここまで長々と書き連ねてきたように、就活とは最も「印象」が前に出てくる瞬間だからです。

言い換えると、就活ほど「印象」に左右される状態、「印象」の問題点が顕在化している状態は無いと言えます。

就活は、「印象」について書くにはこれ以上にない舞台だったと思います。

ただこの作品は、就活を経験していない人、就活を経験したけどもう遥か昔のことだという人にも、心に刺さる物語になっていると思います。

それは、「印象」は就活だけのものではないからです。

「印象」を使うのは就活だけじゃない

就活は、かなり「印象」に左右される状況であると書きました。それはそうだと思うのですが、では就活以外に「印象」の出る幕がないかと言われればそうではありません。

私たちは日常的に、「印象」に支配されているといえると思います。

この作品を読んで僕が思い出したのは、行動経済学のヒューリスティックという概念です。ヒューリスティックとは、経験をもとに瞬発的に判断すること。

例えば、知らない土地で蕎麦屋が2軒隣り合っていて、どちらか美味しい方に入りたいとします。
2軒の蕎麦屋のうち、1軒は行列ができていて20分待ちです。もう1軒は、お客さんが2人しかいないガラガラの店です。

さて、どちらの蕎麦屋が美味しいと思いますか?

おそらく、行列ができている方の蕎麦屋が美味しいと判断すると思います。
それは、美味しい店には行列ができると経験的に知っているからです。

このような経験則を活かした判断は、素早く簡単に正解に辿り着く方法としてとても有効です。

しかし、注意点もあります。
それは、経験則をもとにした判断が必ずしも正しいとは限らないことです。

今回のケースでいえば、行列の出ている方の蕎麦屋が美味しいとは限りません。オペレーションが悪く待ち時間が長くなって列が出来る→それを見た人は「人気なのかな?」と思って並び始める、という結果、行列ができていただけかもしれません。

つまり、経験をもとに素早く判断できる一方で、偏見をもとに誤った判断をしてしまう可能性も高まるということ。この蕎麦屋のケースで言うと、「行列=美味しい」という固定観念によって、判断が歪められたということです。

「印象」というのも、このヒューリスティックと似ている性質があると思います。

『六人の嘘つきな大学生』では、六人の登場人物の「印象」がコロコロ変わります。

では、読者である私たちは何を元に、彼らの「印象」を決めていたのでしょうか?

登場人物同士はともに最終試験の準備をした仲であり、相当の時間をかけて関係性を気づいています。

しかし、私たち読者はこの六人について知る時間は用意されていませんでした。この作品の中では、六人が関係を深めていった最終試験の準備期間についてはあまり描かれていなかったからです。

では、いつ私たちはこの六人について「知った」のでしょう?

いつのまにか、「知っていた」のではないでしょうか?

おそらく断片的に出される情報(イケメン/美人、自己紹介の内容、告発の内容)によって、頭の中でコロコロと「印象」を変えたのではないでしょうか。

ここで重要だと思うのは、与えられた情報以上のことを想像してしまう、ということです。

与えられた情報は「イケメン」「慶應大学」「知性的な好青年」だけだったとしても、「すごく優秀で仕事のできる人だろうな」「勉強もスポーツもできて女性にもモテるだろうな」という風に、無意識に情報を補って自分なりの「印象」を作り上げてしまいます。

これは、「行列ができている蕎麦屋とガラガラの蕎麦屋がある」という与えられた情報を飛び越えて、「行列ができている蕎麦屋の方が、ガラガラの蕎麦屋よりも美味しいだろう」と勝手に解釈したことと似ています。

つまり人間は、人に対する「印象」であっても蕎麦屋と同じように、経験則をもとにして情報を補ってしまうということ。

それが故に、『六人の嘘つきな大学生』を読んでいる途中で、私たちは何度も何度も登場人物への「印象」を変えることになるのです。

「印象」は誰のものか?

僕は『六人の嘘つきな大学生』を読んで、考えました。

「印象」とは、誰のものか?

これまで、「印象」とは個人のものだと考えていました。つまり、僕が抱く「印象」は僕のものであり、他の人が抱く「印象」はまた違うものだと。

しかしこの作品を読んだ時に、「僕と同じように、六人の登場人物に対する「印象」をコロコロ変えた人がいるのではないか?」と思いました。

もし、僕と同じように「印象」をコロコロと変えた人がいるのなら、「印象」とは個人のものではないということになります。

なぜなら、僕と僕以外のみなさんとで、同じ「印象」を抱いていたということですから。ということは、「印象」とは何によって決まるのか?

「印象」とは社会によって決まるのだと思います。

社会によって似たような経験・イメージが植え付けられ、同じ社会に属する人間がある情報に対して似たような「印象」を抱くようになる。

「行列=美味しい」と考えるのは、なぜか?

それは、美味しい店には行列ができ、行列ができる店は美味しいと社会に思わされてきた(生きていく中で経験的に知った)からです。

「印象」とは、社会的に規定されるものであり、個人が制御できるものではないのです。

だからこそ「六人の嘘つきな大学生」という作品はベストセラーになり、こんなにも愛される作品となっているのだと思います。

さいごに

今回は、『六人の嘘つきな大学生』(浅倉秋成・著)を読んで考えたこと、考察を書きました。
さすがの本屋大賞ノミネート作品だけあって、色々と考えさせられる作品でした!みなさんも、ぜひこの機会に「印象」について考えてみてください!

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